ロシア語をはじめましょう

<7>ロシア語を勉強しようとすると、次のような質問を受けることがよくあります。

「えっ!どうして?なんでロシア語なの?」
これは「ロシア語」と聞いただけで、多くの人から反射的に出てくる言葉かもしれません。この質問の中には次のような疑問が込められているように思います。
「どうして、こんなに難しそうな言語を選ぶのか?」
「オソロシアとも言われる怖そうな国の言葉をなぜ選ぶのか?」
「他のもっと、就職に役に立ちそうな言語のほうが良いのではないか?」
それぞれの質問に正面から答えることができないわけではありませんが、「ロシア語の響きが好きだから」などと言って適当に答えることが多いです。もちろん、真剣にたずねて来る人たちに対しては時間をかけてでも自分の考えを述べるようにしています。

しかし、実際のところ、ロシア語圏の国々と関わって何十年というような人たちでも、周囲の人たちを納得させるほどの明確な答えを持ち合わせていないこともしばしばでした。かくいう私がロシア語を選んだ理由もいくつかありました。
「日本にはロシア語を話せる人が少なそうだから。そして、それを就職活動の際の武器にしたい」これが私にとって、ロシア語を選んだ第1の理由でした。もうひとつの理由はちょっとひねくれた考えからかもしれません。「日本にいるとアメリカナイズされた考え方が染みついているように思われるので、『その対極にある世界を二分するもう一方の雄であるロシア』のことをもっと知りたい。どうして、ハリウッド映画などではいつもロシア(ソ連)が悪者にされて、表情一つ変えないで人を暗殺するような役ばかりなのだろう。どうして、日本のマスコミはロシアの悪いニュースばかりを先行して流すのだろう。もっと良いニュースだってたくさんあるはずなのに。国の位置関係としては、もっとも近い隣国であるにもかかわらずネガティブなイメージで固定されているのはどうしてなのだろう。国際交流だって、ビジネスチャンスだって本当はもっとたくさんあるはずだ。」上記のことが事実であったかどうかはともかく、少なくとも学生時代の私はそのように思っていました。

現在は社会人になって30年近くが過ぎますが、この間にロシア留学にも行き、その後、ある会社の駐在員としてもロシア勤務を経験することができました。今、こうして半生を振り返ってみますと、ロシア語を介して歴史や文化、人々のメンタリティにも触れ、結果的にはものの見方がだいぶ変わったことが大きな財産のひとつとなったと思います。前述のアメリカナイズされたものの考え方から脱却ができた、などというつもりもありません。どの国が良いとか悪いとかではなく、もっと、視野を広く、多角的にものを見ても良いのではないかと考えられるようになりました。企業に勤めるようになったとき、朝早くから終電まで働くような日々が続くようなこともありました。徹夜作業も稀ではありませんでした。さっき、「お疲れ様でした」と言って出てきた会社のオフィスに、次の日の朝もう向かっているという感覚でした。「何のために生きているのか?」自宅と会社の往復しかしていない自分を見つめなおすきっかけもロシア語でした。「もっと、人生楽しまなきゃ」、そういった言葉も不思議とロシア語でロシア人から言われるとあまり腹も立たず、すっと腑に落ちました。当時の同僚に同じことを言われても、「だったら、代わりに仕事を全部やってくれるのか。」としか感じなかったと思います。

日本には体を悪くしてまでも、「責任」というものに脅迫されて、突き進まざるをえない状況が作り出される何かがあるのだと思います。長期休暇取得など夢のまた夢です。もちろん、ロシア人にもいろいろな条件の人たちがいますが、夏休みを一カ月以上とって、ダーチャと言われる家庭菜園付きの別荘で暮らしたり、森で木の実やキノコを採ったり、魚釣りをしたりして過ごす時間が普通にあることを知りました。実際に私もホームステイ先の家族のダーチャに何回も行く機会がありました。日本でいうところの「別荘」とはだいぶ異なりますので、ダーチャと過ごすことは決して楽で贅沢なことではなく、畑仕事や家屋の修理など結構な重労働でもあります。

しかし、私にはとても衝撃的なことでした。自分がロシア語を学習し始めたときは、ソ連が崩壊してまだ何年も経っていない時期でしたので、そのような国で暮らしている人たちは、経済的にも精神的にも余裕などなく、しばらくは絶望の中に生きるのだと勝手に思い込んでいました。失礼ながら、自分が住む日本という国のほうが圧倒的に豊かだと思っていたものです。しかし、話を聞いてみると、どちらがより豊かなのか、などと比較する自分はよほど貧しい考えの持ち主であったと思うようになりました。少なくとも、「精神的な豊かさ」では、自分はまったく劣っているのではないかと悲しくなったりもしました。ちょっとした日常の生活の中にこそ「真の喜び」があり、自分の心がけ次第で、その喜びはいつでも探し出すことができるのだと思えるようになりました。

ロシア語を始めようとする理由は千差万別であって良いと思います。また、何がなんでも理由を明確にする必要もないのでは、という気がします。いくつかのフワッとしたきっかけが、「やってみたい!」になっている場合のほうが多いのかもしれません。少なくとも私にとって、ロシア語というのはもはや一緒にいて楽しい、生涯付き合える良き友人のような存在になってきています。

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